季節のお便り(エコネットみなまた)

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    • 2016.11.18 Friday
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    熊本地震と川内原子力発電所

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      男のセンタク vol.30より

       

      2016年4月14日と16日、大きな地震が熊本を襲いました。

       

      被害状況は報道されているとおりです。そして、地震の収束予想は6月16日現在ついていませんし、震源が南西方向に延びていて予断を許さない状況に変わりはありません。

      今回の熊本地震では、自然災害と原発事故が重なった場合について深く考えさせられました。

       

      以下、水俣での動きについて記します。

       

      4月18日、九電鹿児島支店と鹿児島県知事に申し入れ、鹿児島、熊本総勢30名。

      九電では、原発避難計画を考える水俣の会から「熊本大地震を真摯に受け止め、川内原発を即時停止してほしい。自然災害に原発事故が重なればどういうことになるのか想像してほしい。」と、発言しました。

       

      「震度3の揺れでは停止させるガル数に達していない、安全だ、強固な地盤の上に建っている。」という回答でした。

       

      熊本大地震が起きても対応に変化なし!

       

      鹿児島県原子力安全対策課では

      「鹿児島県出水市の避難者を受け入れ予定の水俣から来たこと。地震が起きる前までは、実効性のある避難計画を作るために、水俣市にも協力用意があることを伝えていたが、これからは、水俣市民の避難計画が必要なので、会としての方針転換を検討している。

      震源が南西方向に延び、川内に近づいているので非常に心配している。鹿児島県は独自で出水市民を守ってください。」等々を言いました。

       

      その後、予定外でしたが怒りが収まらず、5階の知事室まで行きました。

      知事は出てきませんでしたが、しばらく秘書を相手に原発停止を訴えました。

       

      原子力規制委員会は、過酷事故の際はまずは屋内退避を、と言っています。

       

      複合災害時にこんなことが可能でしょうか?

      熊本大地震の際には、屋内よりも屋外にみんな出ています。

       

      机上の空論です。

       

      原発避難計画などできるはずはなく、即停止、廃炉が賢明な選択です。

       

      4月22日、川内原発ゲート前で、今すぐ停止を訴えました。

      地震の行方が定かでない今、沈静化するまで止めるべき、脱原発派、推進派を問わず、ほとんどの人が思っているはずです。

       

      しかし、現地は日常そのもの。社員や下請けの人の出入り多く、草花の手入れなども行われていました。

      地震の真っ直中にあるある私たちからすれば信じがたい光景でした。

       

      とにかく原発を止めて、私たちの不安のひとつを取り除いてほしいと訴えました。

       

      4月24日、川内原発を考える肥薩ネットワークが設立。

      川内原発の北側の鹿児島県阿久根市、出水市、伊佐市、熊本県水俣市、津奈木町、芦北町の住民50名が集いました。

       

      過酷事故の際の避難予定者、受け入れ先の住民が一堂に会し

      実効性のある避難計画を策定出来ない熊本地震を教訓に、川内原発を今すぐ止めよう、と確認しました。

       

      今止めないでどうする?川内原発。

      ほとんどの人の願いだと思います。

       

                                     //おわり  2016年7月発行 「かづら」 より

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

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      機関誌「かづら」より 水俣で出会った人たち(2)

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        《つづき》

         今年9月、必要に迫られて

        写真集「水俣」〜水俣病事件史の中で重要な位置を占める人たちがたくさん登場している〜を

        読んでみました。

         

        一人一人の行動を改めて見てみると、この事件と患者の生きざまがどれほどすごいことであったかがよくわかり、自分自身がこの事件を薄く理解していたのだと感じました。

         

        田上義春さんのこと

         

        義春さんは、水俣病の激しい症状を持ちながら、リハビリである程度恢復し

        乙女塚農園で、牛飼いや養蜂、キウイ栽培などの農業をされていました。

         

        イノシシが出没する場所なので、囲いの中に上手くイノシシを誘導して捕獲するという技もお持ちでした。

         

        義春さんは、水俣病互助会会長、水俣病患者東京本社交渉団長などの役もされましたが

        2002年7月、72歳で亡くなられました。

         

        私(編集注釈=弊社理事永野)と義春さんはせっけん工場(=エコネットみなまたの前身)を通じての関わりでした。

        義春さんの話はいつも長く、滔々と述べるスタイル。

        私の印象として、脱線や行きつ戻りつを繰り返すのですが、最後には元に戻って、話を結ぶ。

         

        さて、せっけん工場設立お祝い会での挨拶です。

        義春さんは、自分の今の健康状態をひとしきり説明した後で、「試行錯誤しながらやってきたせっけん工場が漸く完成した。」と、言って感謝の言葉を述べます。

         

        ここからが本題です。

         

        「さて、今の科学は日進月歩ですが、しかしその発展もやはり、地球上の人類、自然、生物の幸福を前提にしないといけない。

        今は、一部の人たちの欲望の元に為されている、と感じられる。

         

        一番身近で水俣病、環境汚染、熱帯雨林の伐採

        また、電気を安く提供するというキャッチフレーズのもと、原発を自分たち(注=広く全ての人々)のために動かしている。

        広島、長崎の死の灰の何十倍の原発。どうも私たちはその(注=私達のために原発を動かす)言葉を100%受け取れない。

         

        私たちが水俣病を引き起こした当地で、何か出来るのではないか、と考えたのがせっけん工場。

        水俣病は世界に名だたる環境破壊の最もたるものですが、復元はせっけん工場を基礎にやっていきたい。

         

        取り留めのない話になりましたが、これで終わります。」

        せっけん工場の意義と、1986年(昭和61年)当時の情勢が的確に言い表されています。

         

        持ち場、もちば

         

        義春さんが良く言っていた言葉

        「持ち場、もちば」が

        今でも私の中に生きています。

         

        せっけん工場設立のころの私は、物言いがストレート過ぎて、気持ちを上手く伝えることが出来ずにいました。

        「自分ができることを頑張ればいいし、できないところは得意な人がやればいいので、それでいいよ、補い合えばいいよ」と

        言われ、気持ちがすごく楽になったことを覚えています。     《おわり》  〜機関誌 かづら 2016年秋号より〜

         

        さて、エコネットみなまたでは

        そろそろ秋の味覚が本格的に入荷します。

         

        みな様、お待たせしました。

        農薬不使用・化学肥料不使用にこだわった、安心安全な作品です。濃厚で甘い温州みかんは如何ですか?

        オーガニック 温州みかん

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

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        最新の機関紙「かづら」より

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          水俣で出会った人たち

           

          水俣に住み始めたのは1981年。

          50キロの距離にある川内市(現薩摩川内市)の郵便局に通勤していました。

          自家用車にエアコンがなく、農薬散布中の田んぼを通過するときに窓を閉め切っていたことが

          暑い思い出としてあります。

           

          その後、水俣郵便局に転勤しましたが

          1986年3月に退職。

           

          連れ合いが公務員だったので経済的に困ることはなかったのですが、周りからは「もったいない」と

          よく言われました。

           

          1986年は水俣病確認30年で、節目ということもあり行事が多く、その中で環境保護を事業化できないかという水俣病患者の提案があり、私も水俣せっけん工場の設立にかかわることになります。

           

          高1の時に患者の濱本二徳さん、裁判原告団長の渡辺栄三さんとの出会いがあり、社会問題に目覚めましたが、水俣病事件にはそれほどの関心を持っていなかったので、深く関わってきたわけではありません。

           

                                                                 《つづく》

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